全ては一瞬だった。一瞬で彼女を取り巻く環境は一変したのだ。
それは偶然か、はたまた運命と言うべき仕組まれたことだったのか。
いずれにせよ、世界は大きな軋みを上げて動き出した。
この結果を望んだのは果たして彼女だったのか、彼だったのか……
忍界大戦――五大国と呼ばれる世界の主だった国の間で起こった世界戦争である。
それぞれの国に置かれている忍びの里は、お互いに数え切れない程多くの忍びを投入し、
また数多の忍びたちが里の英雄として戦地に散って行った。泥沼化していく戦いの中、
そんな里の1つである木の葉は苦戦を強いられ、起死回生の一手を必要としていた。
そして、それを作り出すため、1人の少女が自分の身を犠牲にすることを、決めた。
「あの術を使うだと!?アオイ!それは無茶だ!!」
「分かってる。分かってるけど…これしかないのよ。カカシ」
静かに静かに、血に濡れた手で印を結んでいく。起死回生の一手となるべき
それは…禁術だった。術者自身の命を代償にするが故に禁忌とされる
その術は使った者を皆忽然と跡形もなく姿を消してしまう。
死体すら残らぬ死。それがこの禁術の代償。チラリと振り返れば、
背後から必死に手を伸ばしてくるカカシの姿が見える。
しかし、手負いの彼の手が届くよりも先に彼女は術を完成させた。
「アオイーー!!」
「…さよなら。カカシ」
最後の印を結び終わると同時に辺りが静寂に包まれる。
だが、それも一瞬。すぐに全てが闇に飲み込まれ始めた。
岩が木が、地面そのものでさえもポッカリと開いた穴に消え、
次々と敵が底なし沼のような暗闇に引き摺り込まれていく。そして、それは彼女も同じだった。
すぐにしっかりと立っていたはずの地面は消え失せ、あっという間に彼女を飲み込む。
仲間の忍びに安全な場所へ避難させられたカカシを確認し、
”これで仲間を守れる…”そう確信して、ひどく満足な気持ちで彼女は気を失った。
そこで、彼女の生は終わったはずだった。否、少なくとも彼女はそう思っていた。
しかし、彼女が目を再び開いたとき、そこに広がっていたのは地獄でも天国でもなく、
元の世界でさえもなかった。広がっていたのは彼女にとって残酷な現実だった。
まるで彼女の死の決心を嘲笑うかのように。
「ここは…どこ?」
一言で言うならばそこは瓦礫の山だった。
木の葉の里では見たこともないような高さの建物が
無造作に崩れ、太い針金のようなものが飛び出している。
どれもこれも金属のような粘土のような――後でアスファルトというのだと知った――
で出来ており、木の葉の里にはない『科学』の臭いを感じさせるものだった。
「私は…禁術を使って死んだはず……」
フラフラとよろけながら彼女は崩れた建物の外から出て…
そして外を見回して呆然とした。崩れていたのはこの建物だけではなかった。
まるで戦争のあとのように街全体が荒れ果てていた。
元は高度な文明を築いていただろうことが窺えるが、
何か大掛かりな重火器類が使用されたのだろう
キチンと美しかっただろう原型を留めているものはない。
彼女は暫く、そこで呆然と突っ立っていた。
「アンタこんなところで何してるんだい?」
「!?」
背後から聞こえた声に、些か驚いて振り返ればそこには老婆が1人立っていた。
特に気配を消している様子もないことから、訓練された忍びではなく民間人なのだろう。
しかし状況を全く理解できていない彼女にとって、老婆は大切な情報源だった。
相手を怯えさせないよう、ゆっくりと出来るだけ優しげな声を出す。
「ここは…何処ですか?」
「おかしなことを聞くねぇ。ここはシンジュクゲットーさ」
「…火の国ではないんですか?」
「ヒノクニ?はて?聞いたことがないねぇ」
火の国を知らない。それは彼女にとって大きな衝撃だった。
火の国は忍び五大国でも大きな国だ。知らないなんてことはあるはずがない。
たとえ老婆が忍びでなくとも、だ。もしかしてこの老婆は脳の病でも患っているのだろうか。
そんな失礼な疑問まで、彼女の脳裏に浮かぶ。一瞬浮かんだ最悪な答えには蓋をした。
「……ここは何と言う国ですか?」
「ここは元日本…今じゃエリア11って呼ばれてるけどねぇ。ブリタニア帝国の属領だよ」
日本、ブリタニア帝国…どれ1つとして馴染みのある国名ではない。
彼女はそこで1つの仮定に辿り着いた。決して認めたくはない仮定に。
そうっと閉じた蓋を開け、彼女は最も信じたくない可能性を口にした。
「もしかして…ここは………異世界?」
俗に言う”パラレルワールド”、平行世界とも呼ばれる。
自分が存在する世界と別次元にも世界があって
それぞれが交わることなく存在しているという理論だ。
だが、所詮は絵空事と誰1人として信じていなかった。
彼女もたった今まで信じてはいなかった。
だが目の前の光景は、それを証明するに十分なものだった。
「おばあさん…貴女は忍びを知っていますか?」
「シノビ?そうだねぇ…大昔にいたらしいけど。私は実際見たことはないねぇ」
仮定が確信に変わった瞬間だった。可能性は現実という重さをもって彼女に推しかかる。
彼女は独り異世界へと飛ばされてしまったということ、誰も自身のことを知らないということ。
その現実はあまりに重く苦しく、禁術の代償というには衝撃が大き過ぎた。
「おやおや。大丈夫かい?どうしたんだい?」
「…っ!…うぅ……うわぁああああ!!」
彼女は涙した。忍びになってから一度も流すことのなかった涙を
今は留めることなく、滝のように流し、子供のようにワンワンと泣き喚いた。
ただ、帰れない故郷を思い、どうせなら死んでしまいたかったと嘆き
彼女は…空野アオイはただただ泣き続けるしかなかった。
里のために死ぬ覚悟はあった。
けれど、世界を捨てて、生きる覚悟は、なかった、のに。
なぜ?私は生きているのだろう?