ブリタニア本国、首都にあるブリタニア宮殿は、権謀術数渦巻く、魔窟であり、
絢爛豪華な見かけとは裏腹に、皇族や貴族の思惑が交差し、常に蹴落とし合いが続く。
他人より狡賢く、汚くあらねば、瞬く間に闇から闇へと葬られる……
また宮殿という閉鎖的かつ、特殊な空間性も手伝い、実しやかに囁かれる
噂や秘密といったものが、絶えることのない場所であった。故に、
元日本国――イレヴン出身の枢木スザクがそんな噂の1つを小耳に挟んだのも、偶然か
はたまた必然か、まさに運命の悪戯というべきか、兎角、不思議なことではなかった。
「月ノ宮…?」
「お前知ってるか?」
場所は名誉ブリタニア人専用の――こんなところでも、支配民族と非支配民族間の
差別がなされるのがブリタニアだった――軍人食堂である。昼時の込み合う時間帯、
ブリタニア以外の様々な国籍を持つ者たちが、束の間の休息を得ようと、
席を奪い合う状況で、スザクは同期の青年に声をかけられた。どんな環境でも、
同期の人間とは縁が出来るものだが、使い捨ての駒とされる名誉ブリタニア人は
とても死亡率が高く、既にほとんどが鬼籍に名を連ねており、同期で残っているのは
この青年とスザクぐらいのものである。
そういうわけで、彼とはスザクが皇女の騎士となってからも、それなりに
気安い関係を続けていた。そして、その青年はいつも他愛もない噂話をスザクに聞かせた。
それはほとんどが日常的な、毒にも薬にもならないような他愛もない話ばかりだったが、
今日のようにいわゆる【お偉いさん】に関わる話も数多くあった。
「本殿を別名【日ノ宮】って言うだろ?だから、その影の宮で【月ノ宮】らしい」
「へぇ…いや、僕は聞いたことないかな?」
今日の話は、畏れ多くもブリタニア皇族に纏わる話故か、一層声を潜めて話す青年に、
スザクも自然と声を落とす。この喧騒の中で、早々誰かに聞かれる心配はないが、
それでも皇族について名誉ブリタニア人があれこれ語るなど、噂話といえど、もし上官に
見つかりでもすれば、間違いなく手酷い罰を受けるだろう。用心に越したことはない。
「なんだ…ユーフェミア皇女殿下の騎士殿なら、知ってるかと思ったんだけどな~」
「まぁ僕は騎士といっても名誉だし…ところで、その【月ノ宮】って何?」
青年は”あ~あ!つまんねぇの”と呟きながら、大袈裟に肩を竦めてみせる。
スザクはその様子に少しだけ苦笑しながら、しかし何となく続きが気になり先を促した。
滅多にこのような噂話に乗ってこないスザクが乗り気になったことで、
調子付いたのか、青年は嬉々として噂話の詳細を語った。話の要点を纏めるとこうだ。
青年曰く、その宮は皇帝が政務や貴族との謁見を行う本殿の中でも奥の奥にあり、
一種の隠し部屋のような構造になっていて、外から見れば確かに宮が存在するのに、
中からはどうやっても辿り着けなくなっている。そして、そこには【幻の皇女】と
呼ばれる第3皇女が幽閉されているのだ…ということだった。
「嘘…だと思うけど、その話」
「やっぱそうなのか?まぁ【第3皇女】についての話なんて、幾らでもあるしなぁ」
宮殿の噂の中でも特にデマが多いのが【幻の第3皇女】についてのものである。
御年17歳となるはずの皇女殿下は、第3皇女という位は与えられているものの、
誰も姿を見た者はない。その所為か、噂だけが一人歩きしているものが多いのである。
例えば、とんでもなく醜い姿なのだという噂があれば、絶世の美女だという噂があり、
またその知略と力で1つの支配エリアを成立させたという噂もあれば、
実はご自分の名前さえまともに書けない無能さだという噂もある。
正に触れようとすれば消えてしまう【幻】のような話ばかりなのだった。
「大体、誰も辿り着けないならその宮の存在自体、誰も知らないだろうしね」
「いや、それがさ」
青年が尚も何かを続けようとしたとき、休憩の終わりを告げるベルが
食堂全体に鳴り響いた。これが鳴り終わってから5分以内に持ち場につかなければ、
もれなく上官からのキツイ注意――という名の暴力である――が待っているのだ。
周囲は先ほど以上の喧騒に包まれ、二人も慌ててトレイを片付けると、
自分の持ち場に向かって駆け出していく。
「じゃあまた生きて会おうぜ!続きはそのときにな!」
「うん!またね!!」
結局、この数日後に訃報が届き、青年から話の続きを聞くことはなかったのだが。
このときの2人は、笑顔のままそれぞれの道へと別れた。
これが物語の始まりを告げるベルだったとは、誰も知らない。
それっきりその話は全く忘れていたというのに、ユーフェミアの顔を見た瞬間、
唐突にスザクはその噂話を思い出した。ちなみに、今の状況はというと、
本来主人であるはずのユーフェミアが、強引にスザクを自分の向かい側に座らせ、
優雅に紅茶を飲んでいる。大好きな騎士とお茶をできて、とてもご機嫌な様子だった。
それ故、些か気分の晴れない顔をしているスザクの様子が、ふと気になったようで、
ゆっくりと紅茶のカップをソーサーに戻すと、ニッコリと笑って言った。
「どうしました?スザク。何か心配事でもありまして?」
「え?いや…大したことじゃないんです」
「まぁ?私には言えないようなお話ですの?良ければ、話して下さらない?」
ニコニコと無邪気な笑みを浮かべて皇女に尋ねられれば、一介の騎士である
スザクに断れるはずもなく、またユーフェミアならば、異母姉である
第3皇女のことも知っているかもしれないと思い、スザクは青年から聞いた噂を話した。
しかし、話を進めていくうちに、ユーフェミアは段々と青褪めていく。
様子が明らかにおかしい彼女に、スザクは言葉を止めようとしたが、
何故か口が閉じることはなく、何かに操られるように、勝手に言葉を続けてしまう。
「それで、ユーフェミア様なら何かご存知かと思っ「スザク!!」」
ほとんど叫ぶようなユーフェミアの声で、スザクは我に返った。
同時に、何て無礼な真似をしてしまったのだろう、と申し訳なさが浮かんでくる。
楽しいお茶会は一転して、気まずい雰囲気が漂う暗雲としたものになってしまった。
お互いになんと言おうか逡巡していたが、先に口を開いたのはユーフェミアだった。
「そ、そうだわ!私、唐突にスコーンが食べたくなりました!
スザク、食堂に行って頂いてきて下さいな!」
「―――イエス・ユア・ハイネス」
本当はその程度の用事なら、内線一本で済むことなのだが、
その場の空気を何とか和らげ、スザクを遠まわしに遠ざけようとする
ユーフェミアの意図を汲んで、彼は素直に食堂へと行くことにした。
何故、無神経にも言葉を続けてしまったのだろう、と後悔しながら。
段々と遠ざかって行く彼の背中を見つめ、ユーフェミアは
すっかり冷めてしまった紅茶を口に含む。その瞳がギラリと剣呑に光ったのも、
ポツリと呟かれた声があったことも、スザクが気付くことはなかった。
「貴方は渡さないわ…スザク」
ブリタニア宮殿は広い、皇妃たちの住む離宮がある敷地も含めれば、
東京がすっぽり収まってしまうんじゃないか、と思うほどである。
(実際、どのぐらいの敷地面積なのかはスザクも知らないが)
賊の侵入を容易としないために、入り組んでいる所為で余計広く感じるのかもしれない。
当然、食堂と行っても随分遠くにあり、ユーフェミアとスザクがお茶をしていた
テラスからだと、かなりの距離がある。しかし、そんなことはいつものこと、
と全く気にもせずにスザクが歩いていると、どこからか微かに声が聞こえてきた。
(え?誰だろう…?こんなところに部屋なんてないはずなんだけど……)
皇女付きの騎士になって早3年、それなりに宮殿内の出入りも繰り返してきたスザクは、
この辺りの地理は完璧に把握している。それにも関わらず、脳内の地図と
照合してみても、思い当たる部屋は全くない。しかし、歩いているうちに声は
徐々にはっきりと聞こえるようになっていった。どうやら、若い女性の声のようだ。
(これって…歌?でも、ブリタニア語っぽくないような気が……)
それどころか、どこか聞き覚えのあるメロディに首を傾げる。
最近流行りの曲だろうか?とも思ったが、皇女付きの騎士として日々忙しくしている
スザクはここ数年まともに音楽を聴いたことがない。聞き覚えがある曲…となると、
それは日本に居た頃のものばかりだ。そして、日本の歌をよりによってこの場所で
聞くなど在り得ない。気のせいだろう、と片付けようとしたとき、丁度その歌詞が
彼の耳に届いた。そして、スザクは驚きに足を止めた。
「かごめ…かごめ……籠の中の鳥は…」
「え!?」
よくよく耳を澄ませてみれば、それはどうやら日本語のようだった。
しかも、スザクもよく知っている童謡の1つである。
何故、今はもう存在しない国の歌が聞こえてくるのか、
不審に思うよりも先に、そのメロディに懐かしさが込みあげてきて、
スザクは気がつくと無意識にその声の方向へと歩き出していた。
すでにユーフェミアに頼まれたことなど、忘れ去っていた。
「いついつ出やる……夜明けの晩に…」
フラフラと操られるように廊下を進んでいくと、どうやらどんどん宮殿の奥へ
入ってきてしまっているようだった。人気が全くなくなり、シンと静まり返っている。
カツンと靴音が響く床は高級な大理石が使われており、更に、壁には
贅を凝らした意匠がほどこされている。それらから、かなり高位の人間が
利用しているエリアだということが分かった。
「鶴と亀が滑った……後ろの正面だぁれ?」
理性ではこれ以上進めば咎められると分かっているのに、その足を止めることができない。
歌声が止むと同時に、スザクはちょうど一番奥まった扉の前へと辿り着いた。
躊躇いもなく、手慣れた仕草で、彼はその扉を開け放つ。
その動きに何故とか、どうして、といった疑問は窺えない。
途端に香る、夥しい薔薇の臭い。
そこにはとても室内とは思えないほど、大量の赤い薔薇の花が咲いていた。
一瞬ムッとするほどの香りがスザクの胸を満たし、クラリと眩暈を起こしそうになる。
スザクが一歩踏み出すと、サクリと薔薇は柔らかい音をたてた。その途端、
ザッと室内にも関わらずどこからか吹いた風に乗って、薔薇の花びらが無数に散る。
本当に自分が室内にいるのかでさえ、疑わしくなるような幻想的な光景だった。
その中心でこちらに背を向け、一心不乱に薔薇を摘む少女が1人いる。
そのまま、ぼんやりとした意識でスザクは少女に近づいた。
「…誰だ?そこにいるのは」
スザクの足音を聞きつけたのか、座り込んでいた少女が振り向いた。
サラリと長く美しい黒髪が真っ赤な薔薇の上に広がり、そのコントラストが
妖しげな空気をさらし出す。しかしその少女の表情は対照的に驚くほど純粋無垢で幼い。
立ち上がれば、身に纏った漆黒のドレスがヒラリと舞った。美しい一対の紫玉が
スザクを捉える。一瞬でスザクはその少女の虜となっていた。
少女に魅了されるがまま、スザクはその黒髪を一房手にとると、口付ける。
「僕は…枢木スザク。君の名前は?」
少女は一瞬驚いたように目を見開き、ついで嬉しそうに、そっとその折れそうに細い腕を
しなやかにスザクの首へと絡めると、うっそりと微笑んだ。紅を引かずとも真っ赤に
色づく唇が弧を描き、ゆるやかに言葉を紡ぐ。紫の瞳が彼を誘うようにゆっくりと瞬く。
「ルルーシュ…ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだ」
(ああ…魅せられる…――――――)
まるで重力の中心が少女になってしまったように、スザクの意識は
可憐な少女に惹きつけられていた。そして彼は雰囲気に飲まれるまま、
少女に誘われるままに、スザクはそっとその瑞々しい唇に口付ける。
そうすることが、ずっと昔から決まっていたような、当然のことのように感じられた。
やっと、やっと手に入れた……………もう、逃がさない
第2話に続く
あとがき(という名の言い訳やら補足)
今回から反転は止めることにいたしました;;携帯ではどうやらできないみたいなので;
いかがでしたでしょうか?【神狂い】第1話。テーマは【妖艶かつミステリアスなルル】です(笑)
今回はまだ禁則事項にあったような流血やら何やらの表現はありませんでしたが、
ここはまだ序章ですからね;;これから増えていきます(予定)。
それでは、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございましたww